株式市場探検

日本株の売買・研究の備忘録。結構テキトーです。

お金の歴史

紀元前一万年前~紀元前4500年前まで

狩猟生活。物々交換の時代。ちなみに、日本では1万数千年前~紀元前3000年前が縄文時代なので、大体ここに区分される。物々交換の時代は5000年以上も続いていたのだ!!!!!!ここ数百年の経済の進歩が著しく激しいものであったということがわかる。

 

紀元前4500年~

価値の単位が決まる。麦やコメ、トウモロコシ、牛、豚、クジラの歯、貝殻、毛皮、羽毛などが取引の単位となった。

 

紀元前600年~

ギリシャで硬貨が流通。発行元のアテナイが刻印と高い純度等で価値を保証することで、品質にムラがあった従来の単位よりも扱いやすく信頼度も高い共同体内の共通通貨が誕生。→経済の飛躍的拡大、人口の爆発的増加

しかし、アテナイでは硬貨の流通の増加率が経済規模の増加率についていけず、経済は衰退していった。

その後、地中海の覇者となったのが、ローマ帝国

 

紀元前27年~1453

ローマ帝国の時代。紀元前25年の段階で人口は5680万人いたらしい。すごすぎる。しかしアテナイと同じく、銀貨の流通の増加率が経済規模の増加率についていけなくなった。そこでついに禁じ手を使った。銀貨の純度を99%から2%まで下げて50倍の規模で銀貨を流通させたのだ。ここから「信用創造」の時代の幕開けとなった。ちなみに、ローマ帝国初代皇帝カエサルは、エジプトを所有するとかいう意味不明ぶりを発揮し、当時のGDP比で20%の資産、現在の価値に換算すると数百兆円をもっていたらしい。

 

15世紀~17世紀

大航海時代。ヨーロッパの国々の世界への植民地主義的進出が始まった。経済は世界規模に発展していく。スペインは南アメリカ大陸で銀山を手中におさめ、膨大な銀貨を発行。歴史発の世界通貨ペソを確立。だがまた同じ問題が。純度を下げても銀貨の流通の増加率が経済規模の増加率についていけなくなったのだ。そこで人々が熱中したのが錬金術で、当時の天才たちがこぞって錬金術の研究をした。アイザックニュートンもその一人である。ちなみに、錬金術は成功しなかったが、錬金術の研究の過程で重要な発明がいくつもされている。磁気・蒸留・火薬などである。現在、世界の金の量は競技用プール3.8杯分しかないらしい。

 

日本で関ヶ原の闘いが起こったのが1600年。時代の先端をゆくヨーロッパではイギリスやオランダが台頭しており、アジアでの貿易で儲けるために東インド会社を設立していた。1609年にオランダと日本は貿易を始めている。しかし、徳川幕府は封建支配と相反することから、キリスト教の布教を制限するため、ほかの国との貿易はすぐに禁じられた。オランダと中国のみ、出島での貿易が許可された。

江戸時代前半の日本は、財政は米でまかなわれていた。江戸時代には農業・水産業・鉱業などが発展し、特産物などもつくられるようになったり、陸自・水上の交通ルートが整備された。佐渡金山、生野銀山足尾銅山などが開発され、世界有数の金銀の産出国であったが、のちに激減した。そして、徐々に商人が力を持つようになっていき、両替商や御用商人も誕生した。

 

18世紀~

「てかコレ・・・・紙でいいんじゃね?」もともと金との交換を保証された紙幣は流通していた(金本位制)。よって、紙幣を使うことに関しては抵抗が無かったのだ。金本位制に裏打ちされ、増加し続ける紙幣の登場により経済規模はさらに爆発的に拡大した。そして銀行を中心とした金融の時代へと突入する。ちなみに、金融帝国を築き上げるロスチャイルドの当主、初代マイヤー・ロスチャイルドが銀行家として成功したのが18世紀後半。その5人の息子が世界に銀行業を中心として覇権を広げたのが19世紀初頭から。また、19世紀末に世界最大の銀行家となるJPモルガンが会社を設立したのは1860年

 

19世紀~

明治維新が1868年にはじまり、日本は国際化の道を進み、新通貨単位「円」が誕生したが、金準備が少なかったうえ、経済基盤も欧米に比べて脆弱であったため、実質的に銀本位制であった。転機は日清戦争日清戦争で清から得た賠償金3500万英ポンド分の金を準備金とし、1897年にようやく本格的な金本位制となった。ちなみに、明治維新の動乱の際、新政府が各藩の旧紙幣を高値で買い取るという事実を知り、その前に旧紙幣を買い集め、新政府に売ることで巨利を得た人物が居る。三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎である。

 

WWⅠ(1914)

戦争によって増大した支払いのため、金本位制を中止せざるをえなくなり、各国政府とも管理通貨制度に移行する。ちなみにこのとき、敗戦国のドイツ帝国は莫大な額の戦費調達と賠償により、1兆倍というハイパーインフレが発生した。ドイツに巨額の賠償金を科した賠償委員会の議長はウィルソン大統領側近のユダヤアメリカ人でありのちに大統領以上の政治的権力者とも言われ、また、ウォール街で莫大な成功を収めたことでも知られるバーナードバルークであった。ドイツでは、このハイパーインフレが「ユダヤの紙吹雪」とも呼ばれ、反ユダヤ主義的な陰謀論も巻き起こった。ヒトラーミュンヘン一機を起こしたのがハイパーインフレが収束するかしないかという大混乱のさなか(1923年)であり、首相になったのが1933年だったというのは、この大混乱がヒトラーの価値観に多大な影響を及ぼした可能性がある。一般に、金本位制ではハイパーインフレは生じないが、管理通貨制度&戦争という状況下では敗戦国側でハイパーインフレが生じやすい。

 

1919年にアメリカが金本位制に復帰したのだが、1929年の大恐慌により再び機能しなくなり、1930年代にすべての国が金本位制を離脱し、管理通貨制度に移行した。ちなみに、1929年の大恐慌で歴史的な大儲けをした投機家として、伝説の相場師ジェシーバモアと、35代アメリカ大統領ジョンFケネディの父、ジョセフPケネディが有名。

 

WWⅡ~1971年

戦後すぐ、アメリカの影響が強く、ブレトンウッズ体制に。これは金との兌換を裏付けとしたアメリカドルを基軸とした固定相場制であり、1オンス35ドルという間接的な金本位制となった。その後の転機は1971年8月15日、当時の大統領リチャードニクソンが、米国の金保有量が経済規模に対して相対的に減り1オンス35ドルの金交換を保証するという通貨体制を維持することが困難になったことや、アメリカが世界の中央銀行となるプレッシャーに耐えられないということから、ドルと金の兌換を一時停止することを、事前の知らせなく突然発表した。その後、段階的なドル金相場の切り下げにより金本位制の性格を維持しようとしてきたが、1973年より先進国通貨は変動相場制の時代へと突入し、金本位制は崩れた。ちなみに、イギリスの経済学者ジョンメイナードケインズは、1920年代の半ばから、為替の安定に主眼をおく金本位制から、国内経済の諸目的(物価・景気・雇用)を優先させる管理通貨制度の採用を主張しており、1944年のブレトンウッズ会議では、英国代表として「バンコール」という超国家的通貨を提案したが、アメリカの反対にあったため未実現に終わった。

 

~現在

各国は管理通貨制度となり、世界の流通通貨は年々増え続けている。これは、世界的な人口増加と経済規模の増加に対し、管理通貨制度下においては自国通貨を原則無限に発行できるためである。ちなみに、フェイスブックが提案した、各国通貨のバスケットに価値を裏打ちされた仮想通貨リブラについて、貨幣論に詳しい経済学者の意見はこちら。

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