相場でいつまで稼げるか?~優位性は眠らない~
相場を生業としている人にとって、相場でいつまで稼ぐことができるのか?という疑問は誰しもが一度は考えたことがあるはずだ。
相場で上手い人が増えてくる....ヘッジファンド、ディーラー、個人投資家...etc
誰もが優位性を目掛けて売買を行う。
そんなことでは、いつか優位性がなくなってしまって、相場は完全に「効率的」になってしまうのではないだろうか?そうしたら相場で生計を立てるなど不可能ではないのか?
どのタイミングで売買しても確率は50%なのか?
少し思考の体操をしてみることにした。
欲望と幻想の市場 4Pより
若いころに得たもう一つの教訓は、ウォール街では目新しいことは何もない、ということだ。投機という行為がはるか昔から行われていたことを考えれば、当然でもあろう。今日相場で起こっていることは、かつて起こったことであり、将来再び起こるであろうことなのだ。このことを一度たりとも忘れたことはない。
「はるか昔」とはどのくらいかと言うと、、、、
紀元前6世紀、ギリシャのサモス島にタレスという学者がいた。彼は数学や天文学に通じ、紀元前585年に起きた日食を予言したと言われるが、貧乏をしていたので、ある者が「お前のその学問は、いったいなんの役に立つのか」と罵った。そこでタレスは学問で実際に金を稼いでみせようと出かけていって、島の特産であったオリーブから油を搾る石臼を持っている男にいくらか金を払い、オリーブの収穫期に臼を借りる予約をした。数か月後、その年のオリーブは大豊作になり、島の石臼はのこらず必要になった。タレスは石臼を高値で又貸しして利益を得たという。これが世界史上初のオプション取引とされる。
例えばオプション取引の起源は紀元前までさかのぼるらしい。
また、「バビロンの大金持ち」という本は古代バビロニアで勤倹貯蓄に励み、さらに投資手腕を磨き、一代で大金持ちになった人のお話だが、古代バビロニアは紀元前に栄えた都市である。
何千年も前から投資や投機でお金を稼ぐという概念があったということがうかがえる。
思うに、投資や投機というものは、人類とお金という概念が存在する限り、ほぼ永遠に続くのではないかと思う。すべてのモノやサービス、金融商品などは値段があり、その値段の変動こそが相場である。相場の変動は、人間の欲望や恐怖などの本音がこれでもかというほど反映された結果であって、決して効率的ではない。
働きアリの法則...パレートの法則....80:20の法則
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働きアリのうち、よく働く2割のアリが8割の食料を集めてくる。
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働きアリのうち、本当に働いているのは全体の8割で、残りの2割のアリはサボっている。
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よく働いているアリと、普通に働いている(時々サボっている)アリと、ずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。
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よく働いているアリ2割を間引くと、残りの8割の中の2割がよく働くアリになり、全体としてはまた2:6:2の分担になる。
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よく働いているアリだけを集めても、一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる。
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サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。
これは、投資や投機にもあてはまる気がしている。
利益の8割は2割の人間が得ている、という話もあるが(実際そんなもんだろう)、言いたいのはそんなことではなくて、
仮説
各銘柄や各商品、あるいはそれらのある特定の時間軸の売買(スキャル、デイ、スイング、中長期投資など)において、多少のノイズはあれど、捕食者(利益を得る人)と被食者(損する人)の割合は一定程度保たれ続けるのではないか?
例えば、
(A)小型株の売買がとてもうまい人がいて、利益を得続ける人がいる。
しかし、資産が増えるに連れ、小型株ではなかなか資金を大量投下できないので、大型株の売買に移行するようになった。
(B)スキャルピングの売買がとてもうまい人がいるが、資金が増えたので長期投資に専念するようになった。
(c)あるファンドが個別株の売買をしていたが、資金が増えすぎたので指数の売買に専念するようになった。
のようなケースが多発し、出ていく人数と入ってくる人数がバランスし、結局、仮説のようになるのではないだろうか?
と、ここまで考えて、ある方程式をおもいだした。
それは、ロトカヴォルテラの方程式というもので、自然界の捕食者と被食者の個体数の変化を記述する連立微分方程式である。
詳しい話は専門家にまかせるとして、ざっくりとこんな感じである。
wikiより引用
このグラフは、きつね=捕食者とうさぎ=被食者の個体数変化の周期性を表した図である。
だからどうした?と言われては元も子もないが、私にはこれが投機や投資の世界にも当てはまるような気がしてならない。